通学生であれば、卒業論文を書かずに卒業することも可能です。しかし、通信教育課程の場合、卒業論文は必修であり、他の科目の単位に置き替えることはできません。いくら、科目試験とスクーリングで124単位とっても、卒業論文を書かない限り、いつまでたっても卒業することはできません。
卒業論文とは、要するに、自分でテーマを決めて自分の書きたいことを書いた論文です。要は、何についてでもいいから、自分の考えた事を書けというものです。
何について書いてもいいことはいいのですが、経済学部の人がシェークスピアについて書くのはやはりよくないようで、自分の専門に関することについて書く必要があります。
何について書いてもよいと言われると、何を書いたら良いのかわからなくなるのですが、たいてい、こういのはブームがあります。たとえば、政治腐敗がマスコミでとりざたされている時は、そういったものに関する事、コメの問題がテレビに出てくるときは、米の自由化の問題といった具合です。
ところが、卒論を書き始めたときは、トピックであったものが、そのうち陳腐化していき、提出する頃になると一昔前の話題になっていたりするものです。それに、時流にのったテーマは、卒論を書いている最中にもどんどん状況が変わって行くので、多少独創性を出そうと工夫して書いたとしても、書いても書いてもどこかで聞いたような事ばかりということにもなりかねません。
社会人の人であれば、身近な職場のこと、地方の人であれば、地元のことなどをテーマにすると、独自性が出て教授受けが良いような気がします。まあ、自分がやりたいテーマがあれば、何よりもそれを優先させなければなりませんが。
卒業論文は、リポートと違って、期日までに出せば良いというものではありません。必ず、卒論を書くにあたって指導する教授というのがついてきます。指導教授がいないのに卒論だけ出しましたというのは、認められません。
筒井康隆の「文学部唯野教授」を読むまでもなく、大学において教授の権限は絶大なのです。黒いカラスも、教授が白いといったらそれは白いカラスなのです。だから、あなたが素晴らしい卒論を書いたとしても、ついた教授がぼんくらで、卒業させるに値しないと判断すれば、あなたは決して卒業できないのです。
また、あなたがとんでもない教授についてしまったとわかっても、いったん決定した卒論指導教授は、決して変更できないのです。まともな教授につきなおすことはできないのです。いわば無期懲役(永久に卒業できない。)になります。
この章は、「卒論を書く」というテーマでした。ここで「卒論を書く」とは、
のような意味を含んでいるのです。
そして、このうち慎重に決めなければならないのは、1と2です。これを誤ると、無期懲役なのです。
卒業論文指導教授を決める方法は、大きく分けて2つあります。
自分で決めるとは、自分でこの教授または助教授につきたいと希望を書く方法です。これは極めて自然な方法です。自然な方法ではありますが、意外と希望を書く人は少ないのです。自分の選んだテーマについて、適した教員が誰なのか情報が少ないためです。大学にまかせておけば適任者をえらんでくれるのだから、まかせれば良いということです。しかし、こうした態度はできる限り避けねばなりません。
大学の教員と言っても、数が多いのです。何だかわからないような人もいるのです。個性が強いのです。どういう考え方をもっているかわからないのです。私が知っているある文学部の教授は、
「4年間では絶対卒業させない」
という考えを持っているのです。とんでもないことです。
なんでそんな考え方を持っているのか不思議に思っても無駄です。教授が白いと言ったら、カラスも白くなるのです。まして、通信教育の学則では最低4年という条項があるだけで、何年で卒業させるべきかということなどどこにも書いてないのですから、教授が4年間で卒業させるのが気に食わないと思ったら最後、4年で卒業することはできないのです。
卒業するために卒論を書くのであれば、できることなら
「卒業は4年ですべき」
と考えているくらいの教授の方がいいに決まっています。また、通信教育課程の指導方法に手慣れた教授がいいに決まっています。
そういう人を探すには、一つには通信教育課程で卒業生を出している実績のある教授を探す方法です。少なくとも、通信教育課程から一人も卒業生を出していないような教授は、避けた方が無難です。毎週、ゼミのある通学生と異なり、通信生の指導にはそれなりのノウハウが必要です。通信教育課程のシステムがわかっていないような教授は避けるに限るのです。
それでは、どうやれば卒業実績がわかるのでしょうか。ひとつは、慶應通信に半年に1回、卒業者名と指導教授が出るので、チェックしておくことです。比較的多くの卒業生を出している教授は次の通りです。(氏名の後にあるカッコ内の数字は1989年3月〜1993年9月の間に出した卒業生の人数。)
卒論のテーマが決まったら、テーマに関する資料を集める必要があります。資料を集めるにはいろいろな方法があります。もっともオーソドックスな方法は、図書館で調べるというものでしょう。首都圏に住んでいる人の場合、大学の図書館が利用できます。指導教授に、卒業論文の指導を1回でも受けると、それ以降、本を借りる事もできるようになります。(ただし、2年間。)
地方在住者は、地元の大学の図書館を利用する方法が考えられます。案外、学外者にも利用できる大学があるものです。一度のぞいてみてはどうでしょうか。
近くに大学がない、もしくは学内者のみ利用できるようになっている場合は、地元の公立図書館ものぞいてみる価値があります。
5月と10月の年2回、三田校舎の研究室で行われる、卒業論文指導(卒論指導)とは、どんなものなのでしょうか。5月の卒論指導を受けたい場合、遅くとも2月末までに、卒論指導の申込をしなければなりません。これは、指導を円滑に行うために、その内容について、事前に文書で打ち合わせをしておくというものです。
たとえば、初めての卒論指導では、どういうテーマや、参考文献を考えていて、どれだけ読んだかということが教授にはわかりません。そこで、その内容を教授に知らせておこうという事です。
卒論指導を成功させ、ひいては卒業するためには、この卒論指導の申込みが重要な位置を占めてきます。(ただ、この申込は、3カ月も前に締切があるため、進捗度合いが全然意味をなさないのですが・・。)
参考までに、卒業論文指導の申込みを行う際、記入する項目を列記します。
これだけのものをとにかくそれらしく記入して出さないと、申し込みができないのです。逆に、これだけのものを書くことができれば、卒業論文完成へ向けて大きく前進したとも言えるでしょう。
卒論指導は、要するに卒業論文を作成することを指導する行事ですが、学生側が卒業論文を書き上げるのだという熱意を持ってないと、進みません。卒論指導などといっても、教授は小学校の先生ではないのですから、手とり足とり教えてくれるわけではないのです。
学生側が、教師の立場を立てながらも、常に主導権を握っているくらいでないと、自分の計画通りにはすすみません。
卒論指導の目的は、卒論を書き上げる事です。しかし、もう一つ大きな目的があります。それは、卒業予定申告の許可印をもらうことと、卒業論文提出許可印をもらうことです。
卒論指導は、最低2回は必ず受けなければなりませんが、この場合、1回目の指導で卒業予定申告の許可印をもらい、2回目で卒業論文提出許可印をもらう必要があります。
卒業予定申告というのは、もうそろそろ卒業しようかなと思ったら、1年前に「来年卒業します。」という宣言をしておくものです。その許可印をもらうという意味は、半年後に卒業論文を提出できそうかどうかの判断を教授に仰ぐということです。
逆に言うと、自分が半年後に卒論を提出できるという証拠を教授に見せられれば、許可印はもらえるのです。ま、証拠といったって、半年後のことなど誰にもわからないのですから、必ず提出しますからといって、許可してくれるように頼んでみましょう。大丈夫だと言いきってしまうのです。自信をもって言いきらなければ、教授も不安ですし、また、永久に卒論など提出できません。
通信の卒業は、9月卒業と3月卒業の2通りあります。9月卒業の場合は、6月末日、3月卒業の場合は11月末日までに卒論を提出しなければなりません。もちろん提出するにあたっては、卒論指導教授に提出許可印を受ける必要があるため、卒論の提出というのは、レポートの提出とはわけが違い、一応のおすみ付きが出てから提出することになっています。
卒論の提出許可印をもらうということは、1カ月後に卒論を出せるかどうかの判断を仰ぐという事です。教授は事実上、卒業してもよいかどうか、問いつめられているようなものです。
教授も、結構びびります。たいがいの論文は、自分の目からみれば大したものではありません。論文を読んで、すばらしいなどと思うことは希です。自信をもって卒論の提出許可印を押せる教授は少ないと思います。押すのが恐いのです。
この学生は、果たして卒業試験の面接の時、どうどうと質問に答えてくれるか、ばかなことを言わないか、心配なのです。ばかなことを言って、こんなやつを卒業させようとしているのかと思われるのがいやなのです。無理をしたくないのです。
あたりまえのことなのですが、卒業できるかどうかの最低基準は、卒業論文に自分が書いたことについて、説明できることです。説明できないということは、自分で書いたとは言えないのです。どこかの文献を写してきたのではないかと思われても仕方がないのです。
だから、卒論の提出許可印をもらえる状態というのは、卒論ができあがっており、かつその内容についての質問にほぼこたえられるということが大事です。少なくとも、答えられるのではないかと指導教授に思わせることが大事です。
「私はあなたには恥はかかせない。」
と思わせたら、許可印を押してもらえるでしょう。
卒業論文は原則として手書きによる提出となっています。しかし、指導教授の許可があれば、ワープロでの提出も可能になります。許可といっても教授の方からは言ってこないので、最初に尋ねておく必要があります。もし、ワープロ提出不可と言われても、前述のように下書きだけでもワープロで作成するメリットはありますから、指導を受けるときだけでもワープロではダメかどうか聞いてみましょう。提出まぎわに1回だけ手書きをするのと、作成途中も手書きで提出するのでは大きな差があります。
ワープロで可、もしくは作成途中のみワープロで可という確認がとれたら、章立てからワープロを使用し、その同じ文章に肉付けをしていけばいいことになります。また、リポート作成の時、下書きとしてワープロを使った人は、さまざまな科目のリポートが手元にあることでしょうから、こうした、リポートの答案を卒業論文に活かす場合、文書結合などの方法で加えていけばいいのです。
ちなみに、私はNECのパソコンPC−9801に、一太郎というワープロソフトを載せて使用しましたが、400字詰原稿用紙換算で100頁の論文全体が一つの文書として取り扱え、また、文書の切り貼りや、目次の作成も簡単に行うことができました。また、論文中にコンピューターのプログラムリストを載せたのですが、それもプログラムのソースリスト(記述文)の入ったファイルからコピーしただけで済んでしまいました。私はワープロには通常、富士通のオアシスを使用していますが、卒論などの長文のものは一太郎の方が良いように思えました。