大学や短大を卒業しながら再び大学で学ぶ社会人が増えています。また、会社をやめて大学院に進学する人もいます。
高度知識社会の到来とともに、ある特定の専門知識を習得しさえすれば、一生食いっぱぐれがなくなるという時代ではなくなってきました。
日本では、学問は無駄であって、義務教育や高校教育だけで充分だという時代が1960〜70年まで続いてきました。高度経済成長と呼ばれた時代には、欧米の先進国に追いつき追い越せとばかり、社会や会社の歯車となって、文句のひとつもいわず、汗水たらして働く事がもっとも大事なことであって、学問など無駄以外の何ものでもなかったのです。
その後、オイルショック・円高不況・バブル全盛を経て、日本は欧米の先進国と経済的に肩をならべるとともに、「手本のない時代」に入りました。こうして先行きの見えにくい現代を生きることになった私たちは、無意識のうちに欧米に代わる「手本」を求めるようになっています。それを宗教に求める人もいるでしょう。またある人は学問にその答を求めようとしているのです。
アメリカではすでに社会に出た人が再び大学で学ぶというのは
ごくあたりまえになってきていますが、日本ではまだまだこれからというところでしょう。また日本の大学には、ある意味では卒業より難しい入学試験があるのですから、受験勉強から遠ざかった社会人にとって、気軽に再び大学で学ぶわけにもいきません。